御祭神

素佐之男命

櫛稲田姫命

八王子命

 

 

御由緒


 当社は『遠江國風土記傳』や『大日本史』によると延喜式内社の眞草(まくさ)神社と伝えられる。鎌倉末期頃に御供え炊く寺より出火して火災に罹り、付近の尾崎宮(現六所神社)に遷られたが、今川氏により応永2年から始められた社殿造営が応永5年に完成し、お戻りになる。永正9年8月1日には今川氏親より社領75石を寄進される。江戸時代に入っても徳川家康以降の歴代将軍は、御朱印地として社領を継続し、六所神社と共に‘上下宮’として崇敬されたが、明治に至り社領の上知を命ぜられた。明治6年に郷社にとなり、明治41年神饌幣帛供進社に指定される。

 古来は「天櫻」と呼ばれていたが、山内一豊公が雨乞いの為に和歌を詠み、桜の木に結びつけたところ、すぐに降雨となり「雨櫻」と称されるようになった。境内は西北山を負い、中腹に社殿がある。石段を下ると東北より迂回して来る清流は東西を貫流し、数百年を経る木々は天を覆い、鬱蒼として神厳なる杜を成している。